今春、戦後最大の被害をもたらしたとされる地震が発生した。
2011年3月11日に起こったのだが、約2週間がたとうとしている23日現在も、爪あとはなおらない。震源地に近い東北はもちろん、東京でも電気をはじめ多くの不便が強いられている。
死亡者は万を超えるとされている。行方不明者も相当数だ。
この未曾有の大災害に対して、テレビや企業からのメールでは悔やみと見舞いがよく聞かれる。
被害が甚大であるので当然のことだ。人として当然のことであるし、日本人の常識という価値観に照らし合わせても当然の対応だと思う。
まずは見舞い。次は喪に服すのだろう。
派手な行事は禁止してしかるべき、という意見がある。もちろん、被災者を前にして浮かれた気分でいるのは気が引ける。だが、過ぎたればなお、及ばざるが如し。度が過ぎてはいけない。というのも東京湾の花火大会が中止になったようなのだ。
花火は江戸から続く、季節を感じさせる行事だ。夏の終わりにやる納涼花火大会など、夜空に映える色とりどりの光が、秋の花を連想させる。
お盆の時期にあげるものもある。彼岸からご先祖様が花火を楽しみにやってきたと思うと、これも風情があっていい。私達も一緒に楽しめる。美しいものは時間を超えるから、今昔を問わない。
兎に角、花火は季節を感じさせるとともに、楽しい娯楽なのだ。これを中止するという。
今回の地震、津波で亡くなった方の魂が彼岸から戻ってくる時に一緒に楽しめるものがなくてどうする。確かに派手だが、地震に傷つけられた私達を癒し、亡くなった魂へのねぎらいを止めてなんとする。
故池波正太郎氏が書く小説でも、鬼兵はじめ主人公は世間の流れよりも個人の粋な思いつきを優先させたものだ。それが結局、人々を幸福にして面白い世の中をつくっている。
小説と現実をそのまま同じものと捉えるわけではない。理にかなっていると思う部分を取り入れている。
こういうときこそ、逆に大会を利用して粋なはからいでも考えてはどうなのか。それこそが江戸っ子、たとえ東京人になっても受け継がれるべきだろう。
きっと、拍手こそあれブーイングなどは起こらないと私は思う。