2011年3月23日水曜日

度が過ぎる


今春、戦後最大の被害をもたらしたとされる地震が発生した。
2011311日に起こったのだが、約2週間がたとうとしている23日現在も、爪あとはなおらない。震源地に近い東北はもちろん、東京でも電気をはじめ多くの不便が強いられている。
死亡者は万を超えるとされている。行方不明者も相当数だ。
この未曾有の大災害に対して、テレビや企業からのメールでは悔やみと見舞いがよく聞かれる。
被害が甚大であるので当然のことだ。人として当然のことであるし、日本人の常識という価値観に照らし合わせても当然の対応だと思う。
まずは見舞い。次は喪に服すのだろう。
派手な行事は禁止してしかるべき、という意見がある。もちろん、被災者を前にして浮かれた気分でいるのは気が引ける。だが、過ぎたればなお、及ばざるが如し。度が過ぎてはいけない。というのも東京湾の花火大会が中止になったようなのだ。
花火は江戸から続く、季節を感じさせる行事だ。夏の終わりにやる納涼花火大会など、夜空に映える色とりどりの光が、秋の花を連想させる。
お盆の時期にあげるものもある。彼岸からご先祖様が花火を楽しみにやってきたと思うと、これも風情があっていい。私達も一緒に楽しめる。美しいものは時間を超えるから、今昔を問わない。
兎に角、花火は季節を感じさせるとともに、楽しい娯楽なのだ。これを中止するという。
今回の地震、津波で亡くなった方の魂が彼岸から戻ってくる時に一緒に楽しめるものがなくてどうする。確かに派手だが、地震に傷つけられた私達を癒し、亡くなった魂へのねぎらいを止めてなんとする。
故池波正太郎氏が書く小説でも、鬼兵はじめ主人公は世間の流れよりも個人の粋な思いつきを優先させたものだ。それが結局、人々を幸福にして面白い世の中をつくっている。
小説と現実をそのまま同じものと捉えるわけではない。理にかなっていると思う部分を取り入れている。
こういうときこそ、逆に大会を利用して粋なはからいでも考えてはどうなのか。それこそが江戸っ子、たとえ東京人になっても受け継がれるべきだろう。
きっと、拍手こそあれブーイングなどは起こらないと私は思う。

2011年3月9日水曜日

二十二の 産声あげて 春雪や


今年、2011年の37日は東京で雪が降った。春は三寒四温といわれているように寒暖が激しくいれかわるわけだが、特に寒い。
この日をもって私も22歳になった。隠棲した爺のようだが、振り返ると一瞬のように過ぎ去ったようで、濃い日々だった。多少の世間の荒波を受けて育ったと感じる。
はたして、21年間をどのように生きたか。ある程度の成績を修め、社会では不自由なく生きていける地をつくった。これは親に感謝しなければならない。
そしてこれからは一人で生きていく時期である。何事も自分の判断で生きていかなければならない。こと、ここへきて私は今まで他人の、特に親が与えるがままの人生を送ってきたことにようやく気付いた。
特に自覚させてくれたのは就職活動である。入社を希望する企業への志望理由といわれても、自分には何も無い。やりたいこと?よくわからん、というわけだ。適当な理由をあげつらっていた。
不思議なものである。縁をくれた会社もあった。何を見られたのかよく分からないが、私だったら絶対に採らないのに、採用といってくれた。
ありがたくいただいたものだが、それから21歳の一年間は、悩んだ。夏を過ぎてからは昼過ぎから喫茶店で本を読むことばかりして時間をつぶしつつ、悩んだ。答えをどこかに探そうとしていたのか。
今までは、友人などとバカに騒いでいれば何も考えなくてよかった。さて、騒いだところで多分、一生、私だけにつきまとう問題だろう。悩んでひきこもりのような生活を深くしていた。さあ、困ったことになったぞ。解決方法など知らない。兎に角、悩んだ、考えた。
まぁ、こんな私も21年間で学んできたことはあったようで、何とか答えらしきものを探し出した。考えた過程なぞ見苦しく人に言いたくない。それになんとはなしに辿り着いたというようなもので、言葉で書き表せるほど整理されたものでもない。
肝心なのは、独りでひきこもってなんとはなしの生活を続けたら、いつの間にか自分が目指すものが見えてきたというようなものだ。さながら森で迷っていたら、視界がひらけてきて登る山が見えたようなもの。稲妻のごとく閃いたわけでもなし、獣道を歩いたら段々光が射してきて続く道と山が見えました、という形だ。
私が産声をあげた3月7日の故郷でも雪が降った。これも多分、何かの縁。生まれ変わった積もりで残りの道程を歩いていこうと思う。

2011年3月7日月曜日

時代小説という理想郷


池波正太郎、山本一力、平岩弓枝、多くの小説家が時代小説、特に江戸時代を鮮やかに描く。時代小説と一括りにしても彼らの物語はユニークなものだ。内容も勿論だが、その時代がユニークである。田沼時代の華やかな江戸、寛政の緊縮財政で苦しい時代の江戸、幕末の変化に何か怪しいものが背後に見える江戸。それぞれの江戸がある。人々の生活はまったく違って見えるのに、共通して顕れるのは「粋」だ。
人といっても、仕事一筋の職人、真面目な武士、遊ぶ町人、嫉妬深い女、抜け目ない商人と様々。生きかたの異なる彼らだが、愛、絆、そして縁がある。人を結び付けている。
この結びつきをどれだけ上手に描くことができるかが、時代小説を書く上で必要条件であり、これを極めることが十分条件なのではないか。読者をうならせるトリックは必要ない。憧れるような科学技術も必要ない。ただ、絆を書いているだけなのだ。
その絆を生み出すものこそが「粋」なのではないかと思う。
粋は形容詞として用いるものだが、これは名詞だ。ただし、固有名詞ではない。時代小説を書くにあたって、小説家それぞれに粋という理想があって、どれだけ近づけるかが問われる。彼らの理想をどれだけ読み手が理解できるかが、時代小説の価値なのだと思う。
さて、そこでなぜ江戸かは、言葉に著すことができない。ということで割愛。
私も将来、一度は江戸の物語を語ってみたいものだ。

2010年12月15日水曜日

本分

大学生なのに大学に通わずに家と、近場の喫茶店を往復している。
何か小説のようなものを書きたいと思って、最近はそれしか考えていない。小説のプロットを考えるために、他の小説ばかり読むための喫茶店通いだ。
読書といえば聞こえがいいが、まだ何も生み出せていない今は、ただコーヒーを飲んで時間つぶしをしているといわれても言い返せない。
大学生活最後の年、最後の試験が近づいている。さらに、卒業論文も仕上げなくてはならない。こんな時に何をしているものか。
これで卒業できなくなっても文句は言えないものだろう。
そして、自分も文句を言うつもりはない。
今のまま卒業したとして、後悔のない学生生活を送ったとはいえなくなると思う。
もう一年、自分のやりたいこと、力をいれたいことに立ち向かうことができてこそ、自分は若者を卒業できると思う。
まだ、大学生という社会人予備軍でいられる時にこそ、自分がやってみたいことに力をいれてみる。
これこそが、大学生の本分以前の、若者の本分なんじゃないかと最近思う。
社会的にだらしない若者といわれようが、社会人になっていない自分にそんなことを言われても知ったことかと、開き直ってやろうと思う。

2010年10月11日月曜日

慌ただしくバルセロナ

翌朝83日、なんとかグラナダをバルセロナに向けて出発。お昼前にバルセロナのエルプラット空港に到着した。
市街地に出るためにターミナル間の移動をしなければならず、めんどうくさい。
昼過ぎくらいにバルセロナの宿に到着した。
すぐに洗濯を宿に頼む。
結局2泊しかできないので、街に繰り出す。
とりあえずは街の中心を観光し、本場のフラメンコを見るために地球の歩き方で見当をつけたタブラオ(フラメンコが見れる劇場のようなもの)に足を向ける。


バルセロナの市場などによりつつ、タブラオでサングリアを飲みながらフラメンコを満喫。
中心街でショッピングを楽しんで宿へ帰った。

次の日はガウディの日。
朝からガウディの建築したカサ・ミラなどを見つつ、サグラダ・ファミリアへと向かう。
30分ほど列に並び中へ。
サグラダ・ファミリアは、まだ建設途中ではあるが外観は壮大。

塔にものぼり、バルセロナの街を見下ろした。
その後はグエル公園に向い散歩。
散策を終え、いったん宿に戻って休憩したのち、夜のサグラダ・ファミリアを観に行く。
途中で市街の中心で飲み物などを買い、向かったのだが、連れの一人が地下鉄で財布をスられる。
自分もその場にいたのだが、スられるまでスリと一緒だったことに気づかず。
結局、彼は100ユーロほどを失った。
また、この小騒動のせいで、友人たちとはぐれ一人サグラダ・ファミリアへ。近くのミニスーパーでビールを購入し、夜のサグラダ・ファミリアを肴に一杯やっていたところで、運良く連れと合流。そして宿に帰宅。


翌朝は出発が少し遅れ、そのせいで電車を逃し、30分弱駅で待つことに。
飛行機の時間にギリギリで、カウンターの前に着いたときには出発の1時間前。
ヴェネツィア行きのスパンエアの便にチェックインしたものの、ギリギリであったためオーバーブッキングでビジネスクラスに格上げ。ちょっとラッキー。


しかし、やはり2泊3日でバルセロナを堪能できたとは言えない。
また必ず訪れたい街だ。

2010年9月27日月曜日

ヨーロッパでちょっとイスラム、そしてトラブル

爽やかな朝、マドリッドの宿を離れコルドバの街を経由してグラナダを目指す。
コルドバは旅行の計画をした当初は全くしらない街だったが、グラナダを目指す際に寄る街だと分かると、世界遺産に登録されている街であることもあり、立ち寄ることにした。
半日だけの滞在だったが、ユダヤ人街と呼ばれている地区の街並みと、メスキータ(いわゆる教会)が美しいところだった。
花の小径


湿度は高くないものの、気温が40度前後という暑さを記録し、熱射病になるかと。


夕方までコルドバに滞在し、グラナダへの列車に乗る。ここで最初のアクシデント。友人が列車のチケットを失くしたのだ。とりあえず車掌に運賃を払ってその場は事なきを得た。とりあえず次に列車に乗るまでにチケットを再度購入することが決定。
そんなこんなでグラナダに到着。時刻は19時過ぎ。街の中心にあるバックパッカー宿に市バスで向かう。イスラム人街だかアラブ人街だか呼ばれている地区にある宿だ。行ってみると水タバコの香りが立ち込める場所でバックパッカーやアラブ人のたまり場となっている様子。こんな場所に行きたかったと、妖しい雰囲気に魅了される。
グラナダはアルハンブラ宮殿で有名な街。寝る前にその夜景を一目見ようとアルバイシンと呼ばれる丘に行く。美しい、ライトアップされた宮殿とグラナダの夜景が一望できた。
アルバイシンの丘から夜のアルハンブラ宮殿


翌朝、ゆっくりした朝を過ごす。この日には宿を発つので、荷物をまとめてチェックアウトし、そのまま宿に荷物だけ残す。
ひとまず情報収集のために、日本人情報センターなる場所へ。途中エレベーターが止まるなどの事故()が起こったものの、無事、目的地。そしてエレベーターの件で叱られた。
気を取り直して情報収集。アルハンブラ宮殿について聞く際に、また叱られた。どうやら自分が持っていたのは午前券というやつで14時までしか見学ができないらしい。
その時点で11時過ぎ。
急いでセンターを後にし、宮殿へ。庭園や宮殿、要塞を見学。ところどころイスラム風な趣を感じる。そして想像以上に内装、景色ともに美しかった。


見学も終わり、のんびりグラナダ散策。その前にちょっと遅めの昼食を街でとる。パエリヤをたいらげ、腹も膨れた。グラナダのカテドラル(いわゆる教会)を見学。金と白が目に付く、絢爛豪華なカテドラルで想像以上の内容に満足。

次の街、バルセロナまでは空路を利用。予定よりも遅れたことから、急遽タクシーを利用して空港へ。
予定の時間に間に合い、無事チェックインも済ませた。しかし、ここからがトラブル。格安航空会社につきものの、遅延が発生したのだ。予定より1時間30分近く待たされ、搭乗。
やっと出発かと思いきや、遅延のためバルセロナの空港が使えない時間になったとか。結局、欠航。
疲れのなか、航空会社が手配したホテルに運ばれる。まぁ、4つ星ホテルにタダで泊まれたとポジティブに考えることにした。
翌朝、新しく用意された便でバルセロナへ出発。
旅に多少のトラブルはつきものであることを実感した。

2010年9月26日日曜日

後世に恥じないこと

これから自分が社会に価値を生み出していく立場になるにつれて考えることは、なんといっても、自分がこれからどんな仕事をしていくか、ということ。

それはつまり、社会に価値を生むことに直結するから。

就職先がIT企業といっても、その営業側で働くということは(ただ働いているだけでは)自分に技術があるというわけでも、付くというわけでもない。

そこで自分のできる仕事の幅を広げるために、どんなスキルを付けていくか、そしてどんな仕事をしていくか。結果を残していくか。


そもそも、社会に価値を生むことに何の意味があるか。

今生きていることに対する感謝とか、もっと俗なこと、重要なこととしては自分が生きるため、親、家族が生きるため。これらいくつかの目的があると思う。

この目的の中に優先順位をつけて、何にもっとも価値を置くか。つまり第1位は何か。

自分の中では後世に恥ないことをすることだ。

20年後30年後が、現代よりさらに悪化した世界情勢、環境、経済etc.にならないように、自分が貢献できる分野で力を尽くすことなのかと思う。

私は企業に就職するという道を選択した。だから、最初はその企業を通じて、自分の仕事を通じて、動こう。


もちろん、働いてもいないペーペーの大学生がこんなことを言っても説得力はない。

だから、これは、理想だ。ただし、理想で終わらせる気はない。

自分が後世に何かを残せる程度の能力、立場になったとき、胸を張って第1位の目的として人生の進路にする。


最初は、自分の社会人としての基礎を固める。
そのために働こう、力をつけよう。