今年、2011年の3月7日は東京で雪が降った。春は三寒四温といわれているように寒暖が激しくいれかわるわけだが、特に寒い。
この日をもって私も22歳になった。隠棲した爺のようだが、振り返ると一瞬のように過ぎ去ったようで、濃い日々だった。多少の世間の荒波を受けて育ったと感じる。
はたして、21年間をどのように生きたか。ある程度の成績を修め、社会では不自由なく生きていける地をつくった。これは親に感謝しなければならない。
そしてこれからは一人で生きていく時期である。何事も自分の判断で生きていかなければならない。こと、ここへきて私は今まで他人の、特に親が与えるがままの人生を送ってきたことにようやく気付いた。
特に自覚させてくれたのは就職活動である。入社を希望する企業への志望理由といわれても、自分には何も無い。やりたいこと?よくわからん、というわけだ。適当な理由をあげつらっていた。
不思議なものである。縁をくれた会社もあった。何を見られたのかよく分からないが、私だったら絶対に採らないのに、採用といってくれた。
ありがたくいただいたものだが、それから21歳の一年間は、悩んだ。夏を過ぎてからは昼過ぎから喫茶店で本を読むことばかりして時間をつぶしつつ、悩んだ。答えをどこかに探そうとしていたのか。
今までは、友人などとバカに騒いでいれば何も考えなくてよかった。さて、騒いだところで多分、一生、私だけにつきまとう問題だろう。悩んでひきこもりのような生活を深くしていた。さあ、困ったことになったぞ。解決方法など知らない。兎に角、悩んだ、考えた。
まぁ、こんな私も21年間で学んできたことはあったようで、何とか答えらしきものを探し出した。考えた過程なぞ見苦しく人に言いたくない。それになんとはなしに辿り着いたというようなもので、言葉で書き表せるほど整理されたものでもない。
肝心なのは、独りでひきこもってなんとはなしの生活を続けたら、いつの間にか自分が目指すものが見えてきたというようなものだ。さながら森で迷っていたら、視界がひらけてきて登る山が見えたようなもの。稲妻のごとく閃いたわけでもなし、獣道を歩いたら段々光が射してきて続く道と山が見えました、という形だ。
私が産声をあげた3月7日の故郷でも雪が降った。これも多分、何かの縁。生まれ変わった積もりで残りの道程を歩いていこうと思う。
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