2011年3月7日月曜日

時代小説という理想郷


池波正太郎、山本一力、平岩弓枝、多くの小説家が時代小説、特に江戸時代を鮮やかに描く。時代小説と一括りにしても彼らの物語はユニークなものだ。内容も勿論だが、その時代がユニークである。田沼時代の華やかな江戸、寛政の緊縮財政で苦しい時代の江戸、幕末の変化に何か怪しいものが背後に見える江戸。それぞれの江戸がある。人々の生活はまったく違って見えるのに、共通して顕れるのは「粋」だ。
人といっても、仕事一筋の職人、真面目な武士、遊ぶ町人、嫉妬深い女、抜け目ない商人と様々。生きかたの異なる彼らだが、愛、絆、そして縁がある。人を結び付けている。
この結びつきをどれだけ上手に描くことができるかが、時代小説を書く上で必要条件であり、これを極めることが十分条件なのではないか。読者をうならせるトリックは必要ない。憧れるような科学技術も必要ない。ただ、絆を書いているだけなのだ。
その絆を生み出すものこそが「粋」なのではないかと思う。
粋は形容詞として用いるものだが、これは名詞だ。ただし、固有名詞ではない。時代小説を書くにあたって、小説家それぞれに粋という理想があって、どれだけ近づけるかが問われる。彼らの理想をどれだけ読み手が理解できるかが、時代小説の価値なのだと思う。
さて、そこでなぜ江戸かは、言葉に著すことができない。ということで割愛。
私も将来、一度は江戸の物語を語ってみたいものだ。

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